自分の本当の親は神
こうやって文字にしてみると、まったく無理難題としか思えなくなってくる
ただ、それでも自分の本当の親はやっぱり神だと思えるから、そんな自分が不思議に思える
なんというか、理屈じゃないんですよ
確かに自分はある宗教に入り20年以上経って色々と学んできたし、子どもの頃から心霊番組が好きだったこともあって、霊=目には見えない存在は信じられるっていうのもあるし、スピリチュアル系の動画や本も沢山見てきたから…だとか、神や幽霊といった目には見えない存在を信じられる理由はあると思います
でも、そういうもの全部抜きにしても存在を信じられるのは、「神に守られてる」「神に育てられている」と思えるのは、「そう思えるから」「そう感じるから」としか答えようがない
「理屈じゃない」とはそういう意味です
今、タイピングしてる最中にふと思ったんですけど、もしかしたら五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)を頼りに神を求めようとすること自体、間違っているのかもしれないと思いました
何といいますか…
そんな人間の五感程度のもので神を感知できるほど優れてはいないというか、神はそんな低レベルではないというか…
うまく表現できませんが、そんな感じなのかなと
ほんと、シンプルに「信じるのか」それとも「信じないのか」
結局、ここにたどり着いちゃうんですよね
いや~ まいった…
まだ2回目だってのに、さっそく大きなカベにぶち当たった感じです
いいカンジにまとめてこの回を終わらそうと思ったんだけど、まったく出来る気がしない…
(しばらく考え中 -_-; )
一つ重要だと感じるのは、前回「神と己」でお伝えしたこと
【本当に生きたい人生を生きたいのなら、第一に神に意識を向けること】
やっぱりここなんじゃないかな
うん、まずは「神は本当の親だ」と無理に信じなくていいんじゃないかと
①神に意識を向ける
②「神は本当の親だ」と意識する、思う、紙に書く、声に出してみる
でOKなんじゃないかと
【自分の本当の親は神】と自然に思えるその時がくるまで「神はいる、神は自分の親だ」と、意識する習慣を身に付ける
で、「意識付けを強化する」っていう意味でアウトプット(紙に書く、声に出してみる等)する習慣も身に付ける
このプロセスは「自分が神に対しての向き合い方」なんですけど、このプロセスを神の視点から考えた時、つまり親の視点から考えた時に、きっと神は喜ばれるのではないかなと思うんです。
だって、自分が神(親)だとして、人間(子ども)が↑のようなことをしてくれたら自分は嬉しいからってのが理由です
「神と人間は違う」という意見はあるとは思うし、それを否定しようとは思いません
確かにそうなのかもしれない
でも、そうじゃないかもしれない
↑のプロセスを、この聖書の文章に照らして言うなら、人間(子)が神(親)に向き合おうとする愛の姿と言えるのではないかなと思うんです
【親を想う子の姿】
つまり
【愛】
↑のプロセスにはこれがあると思うんです
あなたが「本当に生きたい人生を生きたい」と望むならば、まずは↑のことをやってみてほしいなと思います
ただ、すぐに何かが変わるということではないので(変わる可能性もゼロとはいえませんが)そこはあまり期待せずに
長く続けていけば、神についてまったく考えられない日もあるとは思いますが、それはそれでいいと思います
出来ないからって、神は「今日、全然出来てないじゃん!(# ゚Д゚)ノ」なんて怒ったりすることなんてないでしょう… 怒ってたらどうしよう(-_-;)
で、やり方はコレ1つなのかと聞かれたら、もちろんそんなことはありません
あくまでやり方の1つです
あなたなりのやり方を見つけられたら、それをずっと続けてほしいと思います
と、自分なりの答えを出してみましたが、あなたはどうでしょう?
これも前回お伝えしたこと
上記2点にあるように、本当に大事なことは、「(【あなたが神を意識する】ところからスタートするのが大前提)としゆきという一人の人間の考えや経験をあなたが知る」ことではなく【(知った上で)あなた自身がどう考えどう感じたのか、あなたが出した答えはなんなのか?】ずばりココです!
簡潔に言うなら【あなたの反応】です
あなたは反応するのか、それとも無反応なのか
これはとしゆきにはコントロールできないこと
あなたにお任せします
そんなワケですので、とりあえず今回はこれで終わり
今回の内容について、まだまだ伝えることがありそうな気がするので、これらが言葉に出来そうになったら、改めてお伝えしようと思います
↑に続く2回目となります
伝えたいことがいっぱいあり過ぎて、何から伝えていったらいいのか悩んだのですが
やっぱりコレかなと
「自分の親」と言えば、普通は自分の「父」と「母」を思い浮かべますよね
そして「父」を産んだ「父」と「母」、「母」を産んだ「父」と「母」がいる
自分から見たら「祖父」「祖母」…
と、人類のルーツを辿っていくと「アダム」と「イブ(エバ)」=「人類の始祖」だと聖書で書かれております
そして「人類の始祖」を造ったのが「神」
ねっ こうやってみていくと「神」って自分の親でしょ!
という理屈で「なるほど!自分の本当の親が神なんだ!」と、知識として得られたとしても腹に落ちる人なんて、おそらく誰もいないでしょう
せいぜい「あぁ そう」とか「そんなの、聞いたことあるし」ぐらいじゃないでしょうか?
いや、そもそもアダムとイブが人類の始祖であるとか、そもそもそもそも聖書の内容は真実なのか、なんて誰にも分からないわけですな
「神との対話」の著者、ニール・ドナルド ウォルシュさんのように神と対話が出来ればいいのですが、もちろん自分には出来ません
目に見えない、触れない、会話はできない、声を聞くこともできない、「〇〇してくれた」みたいな記憶が一つもない…
こんな「ないない」尽くしの存在に対して、言い換えるなら「無」としか思えない存在に対して、存在を認めるというだけでも大変なのに、無」としか思えないような存在を親と思えるのか…
伝えたいことがいっぱいあり過ぎて、何から伝えていったらいいのか悩んだのですが
やっぱりコレかなと
「自分の親」と言えば、普通は自分の「父」と「母」を思い浮かべますよね
そして「父」を産んだ「父」と「母」、「母」を産んだ「父」と「母」がいる
自分から見たら「祖父」「祖母」…
と、人類のルーツを辿っていくと「アダム」と「イブ(エバ)」=「人類の始祖」だと聖書で書かれております
そして「人類の始祖」を造ったのが「神」
ねっ こうやってみていくと「神」って自分の親でしょ!
という理屈で「なるほど!自分の本当の親が神なんだ!」と、知識として得られたとしても腹に落ちる人なんて、おそらく誰もいないでしょう
せいぜい「あぁ そう」とか「そんなの、聞いたことあるし」ぐらいじゃないでしょうか?
いや、そもそもアダムとイブが人類の始祖であるとか、そもそもそもそも聖書の内容は真実なのか、なんて誰にも分からないわけですな
「神との対話」の著者、ニール・ドナルド ウォルシュさんのように神と対話が出来ればいいのですが、もちろん自分には出来ません
目に見えない、触れない、会話はできない、声を聞くこともできない、「〇〇してくれた」みたいな記憶が一つもない…
こんな「ないない」尽くしの存在に対して、言い換えるなら「無」としか思えない存在に対して、存在を認めるというだけでも大変なのに、無」としか思えないような存在を親と思えるのか…
こうやって文字にしてみると、まったく無理難題としか思えなくなってくる
ただ、それでも自分の本当の親はやっぱり神だと思えるから、そんな自分が不思議に思える
なんというか、理屈じゃないんですよ
確かに自分はある宗教に入り20年以上経って色々と学んできたし、子どもの頃から心霊番組が好きだったこともあって、霊=目には見えない存在は信じられるっていうのもあるし、スピリチュアル系の動画や本も沢山見てきたから…だとか、神や幽霊といった目には見えない存在を信じられる理由はあると思います
でも、そういうもの全部抜きにしても存在を信じられるのは、「神に守られてる」「神に育てられている」と思えるのは、「そう思えるから」「そう感じるから」としか答えようがない
「理屈じゃない」とはそういう意味です
今、タイピングしてる最中にふと思ったんですけど、もしかしたら五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)を頼りに神を求めようとすること自体、間違っているのかもしれないと思いました
何といいますか…
そんな人間の五感程度のもので神を感知できるほど優れてはいないというか、神はそんな低レベルではないというか…
うまく表現できませんが、そんな感じなのかなと
ほんと、シンプルに「信じるのか」それとも「信じないのか」
結局、ここにたどり着いちゃうんですよね
いや~ まいった…
まだ2回目だってのに、さっそく大きなカベにぶち当たった感じです
いいカンジにまとめてこの回を終わらそうと思ったんだけど、まったく出来る気がしない…
(しばらく考え中 -_-; )
一つ重要だと感じるのは、前回「神と己」でお伝えしたこと
【本当に生きたい人生を生きたいのなら、第一に神に意識を向けること】
やっぱりここなんじゃないかな
うん、まずは「神は本当の親だ」と無理に信じなくていいんじゃないかと
①神に意識を向ける
②「神は本当の親だ」と意識する、思う、紙に書く、声に出してみる
でOKなんじゃないかと
【自分の本当の親は神】と自然に思えるその時がくるまで「神はいる、神は自分の親だ」と、意識する習慣を身に付ける
で、「意識付けを強化する」っていう意味でアウトプット(紙に書く、声に出してみる等)する習慣も身に付ける
このプロセスは「自分が神に対しての向き合い方」なんですけど、このプロセスを神の視点から考えた時、つまり親の視点から考えた時に、きっと神は喜ばれるのではないかなと思うんです。
だって、自分が神(親)だとして、人間(子ども)が↑のようなことをしてくれたら自分は嬉しいからってのが理由です
「神と人間は違う」という意見はあるとは思うし、それを否定しようとは思いません
確かにそうなのかもしれない
でも、そうじゃないかもしれない
聖書にある
「神は言われた。『我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。』」(創世記 1章26節)
「神は言われた。『我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。』」(創世記 1章26節)
と、ありますが、この意味を調べると
「「人間は神に似せて造られた(神の形・似姿)」とは、外見が似ているのではなく、神の愛や意思を反映する霊的な存在として、特別な目的を持って創造されたことを意味します。」
「「人間は神に似せて造られた(神の形・似姿)」とは、外見が似ているのではなく、神の愛や意思を反映する霊的な存在として、特別な目的を持って創造されたことを意味します。」
とのことです。
↑のプロセスを、この聖書の文章に照らして言うなら、人間(子)が神(親)に向き合おうとする愛の姿と言えるのではないかなと思うんです
【親を想う子の姿】
つまり
【愛】
↑のプロセスにはこれがあると思うんです
あなたが「本当に生きたい人生を生きたい」と望むならば、まずは↑のことをやってみてほしいなと思います
ただ、すぐに何かが変わるということではないので(変わる可能性もゼロとはいえませんが)そこはあまり期待せずに
長く続けていけば、神についてまったく考えられない日もあるとは思いますが、それはそれでいいと思います
出来ないからって、神は「今日、全然出来てないじゃん!(# ゚Д゚)ノ」なんて怒ったりすることなんてないでしょう… 怒ってたらどうしよう(-_-;)
で、やり方はコレ1つなのかと聞かれたら、もちろんそんなことはありません
あくまでやり方の1つです
あなたなりのやり方を見つけられたら、それをずっと続けてほしいと思います
と、自分なりの答えを出してみましたが、あなたはどうでしょう?
これも前回お伝えしたこと
①『このカテゴリーのねらいは、あなたが神を意識するということ』
②『あなたに一つだけお願いしたいのは、ただ記事を読んで終わりにするのではなく
「自分はどうなんだろうか?」と、あなたにとっての真実を考えていただきたいと思います。
ブログを【あなたについての真実】を考えるきっかけにしていただけたなら幸いです。
そして【神とあなた】という関係性について考えていただきたいと思います。』
上記2点にあるように、本当に大事なことは、「(【あなたが神を意識する】ところからスタートするのが大前提)としゆきという一人の人間の考えや経験をあなたが知る」ことではなく【(知った上で)あなた自身がどう考えどう感じたのか、あなたが出した答えはなんなのか?】ずばりココです!
簡潔に言うなら【あなたの反応】です
あなたは反応するのか、それとも無反応なのか
これはとしゆきにはコントロールできないこと
あなたにお任せします
そんなワケですので、とりあえず今回はこれで終わり
今回の内容について、まだまだ伝えることがありそうな気がするので、これらが言葉に出来そうになったら、改めてお伝えしようと思います
このブログが
あなたが神と向き合うきっかけとなりますように
そして、あなたがご両親に愛情を向けるように
あなたが神に愛情を向ける日々が過ごせますように
ありがとうございました( ◠‿◠ )