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アートを通じて、あなたも自己表現の楽しさを感じてくださいな♬

カテゴリ: 神と己

まず、最初にお伝えしますが自分はキリスト教徒ではありません
最初は、今回は先祖についてお伝えしようと思ったのですが、イエス・キリストの重要性を鑑みて、こちらから先にお伝えさせていただこうと思いました

今回のこの一回だけで全てをお伝えすることは不可能なので、今後もイエス・キリストの記事を時々作りながら自分自身が学び、整理していきたいと思いますので、よろしくお願いいたします

自分は学びの途中にあるので、もしかしたら、自分が間違った解釈や思い込みをしている可能性もありますので、このブログの内容を鵜吞みにすることのないよう、よろしくお願いいたします
多分、疑いながら読んでいただくのがちょうどいいのかなと

記事 「神と己」 で
「このカテゴリーのねらいはあなたが神を意識するということ
とお伝えしたように、この記事は
あなたがイエス・キリストを意識するということ
これがこの記事のねらいであり、あなたのスタートです
神が重要なのは言うまでもないですが、同じくらいイエス・キリストの存在も重要です

さて、イエス・キリストについて、まず最初に何からお伝えしようか少し悩みましたが、コレ↓にしました

1.イエス・キリストは再臨している


キリスト教の学びと、自分が信仰している学びとの一番大きな違い(もしかしたら「唯一の大きな違い」かもしれませんが)が、おそらくコレだと思います

Googleの「AIによる概要」によると
「キリスト教において、イエス・キリストが世界の終わりに再び地上に降りてきて人々を裁き、神の国を完成させることを「再臨」と呼びます。聖書では再臨は「いつ起こるか誰にも分からない」とされていますが、現在の世界の状況からその時が近いと解釈する人々もいます」
だそうです

この文章だけで判断すると、キリスト教の方々は人の形、もしくは、なんらかの形で、いつの日か現れ、「人を裁く」「神の国を完成させる」ことを信じられてるのだと思います
しかし、自分はすでにキリストは再臨されていると学びました

どこに?
としゆきの内に
あなたの内に
人類の内に

「自分の中に神はある」という概念は聞いたことはあるかもしれませんが、神だけではなくイエス・キリストもいらっしゃるとのこと

しかし、そうは言われても証明しようがないし実感もない
まったく神の存在と同じ
結局は信じるのか、それとも信じないのか
ココにかかってくる
なので、ココはあなたにお任せします


ただ、自分の経験上から言えることは、イエス・キリストの重要性を少しずつ理解していって、それまでの祈りのはじめが「主神(すしん)様、〇〇様(教祖の名前)…」という祈りから「主神様イエス様〇〇様…」という祈りにしてから、神と自分が祈りによって、より太く繋がったように思えます(最近は主神様を「お父さん」と呼んでいます(´_ゝ`)b)

ほら、人間関係でも(質の良い)コミュニケーションの量が多ければ多いほど、その人と太く繋がってる感じってあるじゃないですか?
ソレですね!
「祈り」を言い換えると、神とのコミュニケーションなのではないかなと思います
だから、より質の良いコミュニケーションを神と取るようにしたから、より太く繋がっていってると思えるようになったんじゃないかなと


神と太く繋がれると感じることはとても重要です
繋がりが太ければ太いほど「土台にある【安心】が頑丈になっていく」というなイメージです
そう、「何があっても大丈夫」理屈抜きにそう思えるのです

勿論、生きていれば不安や恐れが湧いてくることはあります
しかし、その不安や恐れに負けない自分になれます
不安や恐れに自分自身が振り回されなくなります
なぜなら、「何があっても大丈夫」だから
頑丈な【安心】が自分の内側に在るから

ここは想像力を働かせていただきたいのですが、自分の内に神・イエスキリストが存在してるイメージをしてみてください(姿、形は自由です)
もちろん24時間ずっと、あなたの中にいます
一瞬たりとも離れることはありません
それだけで、とても心強いと思えませんか?

それだけじゃないですよ
さらに先祖も存在します
存在を信じられるならハイヤーセルフ、妖精、八百万の神々等々、多くの存在に守られてると信じられたら、これほど心強いものはないと思います

これって引き寄せの法則と関係ある話だと思ってます
「多くの存在に守られているから安心」という思いが根強いものであればあるほど、そういう現実が創造されるからです
というか、それ以前にまず「辛い出来事」「苦しい現実」が創造されにくくなります
これも記事 「神と己」 でお伝えしましたが、20代前半の頃は「死にたい」と思って時期がありましたが、今はそんな思いとは無縁の人生を送らせてもらってます
本当にありがたいです


今回あなたにお願いしたいことは、あなたの内に存在する神とイエス・キリストとコミュニケーションをとっていただけたらと思います
堅苦しいのが苦手なら、例えば朝起きたら「神様、イエス様、おはよー!(*^▽^*)ノ」みたいな友達感覚でぜんぜんOKだと思います

お願い事をするもよし( ˘人˘ )
本当に自分の中にいるんですか!?と疑がってもよし(; ・`д・´)ノ

一つだけ自分が断言できるのは、神やキリストの存在を疑っても、ののしったり批判をしたとしても(この記事を真面目に読まれてる方がそんなことをするとは思ってませんが)あなたは不幸になることはありません
ただ、もしかしたら一時的に辛い経験をしたりすることはあるかもしれません
でも、それは不幸の始まりではありません
きっとそれは、何かしらの気づきのために起きた事だったり、メッセージだと思います
聖書の「ヨハネの第一の手紙 4章7-19節」に「神は愛である」とあるように、ベースにあるのは【愛】です
しかもそれは、人間がもってる小さな、限定的な「愛」ではなく、神の【大愛】です

う~ん… ベースってのはちょっと違いますね
100%愛です
なので、神が人間のように「なんだとっ こんにゃろー! おまえ絶対でっかい罰与えてやるかんなー! 覚悟しとけよー(#´Д`)ノ」とはなりません
ただ、苦笑いぐらいはしてるかもしれません;^ω^


あなたが神とイエス・キリストとコミュニケーションを取り始めたら、もしかしたら、何かしらの変化は生まれる可能性はあると思います
でもそれは、劇的な変化(目で見てわかるようなわかりやすい変化)ではなく、本人には分からない変化です
言い方を変えると「水面下での変化」「霊的な変化」と言えるかもしれません
ある時点で自分自身の過去を振り返った時に、「なんか、今って幸せだよなー♪」と思えるような、そんな感じですね(◠‿◠)~♫
それまでが辛い経験をされた方ほど、きっと実感できるんじゃないかと思います


さて、最後にもう一度繰り返しますが、神と同じように
あなたがイエス・キリストを意識するということ
これがこの記事のねらいであり、あなたのスタートです


あなたが神、イエス・キリストと太く太く繋がれますように
( ˘人˘ )

自分の本当の親は神



↑に続く2回目となります
伝えたいことがいっぱいあり過ぎて、何から伝えていったらいいのか悩んだのですが
やっぱりコレかなと


「自分の親」と言えば、普通は自分の「父」と「母」を思い浮かべますよね
そして「父」を産んだ「父」と「母」、「母」を産んだ「父」と「母」がいる
自分から見たら「祖父」「祖母」…

と、人類のルーツを辿っていくと「アダム」と「イブ(エバ)」=「人類の始祖」だと聖書で書かれております
そして「人類の始祖」を造ったのが「神」

ねっ こうやってみていくと「神」って自分の親でしょ!


という理屈で「なるほど!自分の本当の親が神なんだ!」と、知識として得られたとしても腹に落ちる人なんて、おそらく誰もいないでしょう
せいぜい「あぁ そう」とか「そんなの、聞いたことあるし」ぐらいじゃないでしょうか?

いや、そもそもアダムとイブが人類の始祖であるとか、そもそもそもそも聖書の内容は真実なのか、なんて誰にも分からないわけですな


「神との対話」の著者、ニール・ドナルド ウォルシュさんのように神と対話が出来ればいいのですが、もちろん自分には出来ません
目に見えない、触れない、会話はできない、声を聞くこともできない、「〇〇してくれた」みたいな記憶が一つもない…
こんな「ないない」尽くしの存在に対して、言い換えるなら「無」としか思えない存在に対して、存在を認めるというだけでも大変なのに、無」としか思えないような存在を親と思えるのか…

こうやって文字にしてみると、まったく無理難題としか思えなくなってくる
ただ、それでも自分の本当の親はやっぱり神だと思えるから、そんな自分が不思議に思える

なんというか、理屈じゃないんですよ
確かに自分はある宗教に入り20年以上経って色々と学んできたし、子どもの頃から心霊番組が好きだったこともあって、霊=目には見えない存在は信じられるっていうのもあるし、スピリチュアル系の動画や本も沢山見てきたから…だとか、神や幽霊といった目には見えない存在を信じられる理由はあると思います
でも、そういうもの全部抜きにしても存在を信じられるのは、「神に守られてる」「神に育てられている」と思えるのは、「そう思えるから」「そう感じるから」としか答えようがない
「理屈じゃない」とはそういう意味です


今、タイピングしてる最中にふと思ったんですけど、もしかしたら五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)を頼りに神を求めようとすること自体、間違っているのかもしれないと思いました
何といいますか…
そんな人間の五感程度のもので神を感知できるほど優れてはいないというか、神はそんな低レベルではないというか…
うまく表現できませんが、そんな感じなのかなと

ほんと、シンプルに「信じるのか」それとも「信じないのか」
結局、ここにたどり着いちゃうんですよね

いや~ まいった…
まだ2回目だってのに、さっそく大きなカベにぶち当たった感じです
いいカンジにまとめてこの回を終わらそうと思ったんだけど、まったく出来る気がしない…


(しばらく考え中 -_-; )


一つ重要だと感じるのは、前回「神と己」でお伝えしたこと
【本当に生きたい人生を生きたいのなら、第一に神に意識を向けること】
やっぱりここなんじゃないかな

うん、まずは「神は本当の親だ」と無理に信じなくていいんじゃないかと
①神に意識を向ける
②「神は本当の親だ」と意識する、思う、紙に書く、声に出してみる
でOKなんじゃないかと

【自分の本当の親は神】と自然に思えるその時がくるまで「神はいる、神は自分の親だ」と、意識する習慣を身に付ける
で、「意識付けを強化する」っていう意味でアウトプット(紙に書く、声に出してみる等)する習慣も身に付ける

このプロセスは「自分が神に対しての向き合い方」なんですけど、このプロセスを神の視点から考えた時、つまり親の視点から考えた時に、きっと神は喜ばれるのではないかなと思うんです。

だって、自分が神(親)だとして、人間(子ども)が↑のようなことをしてくれたら自分は嬉しいからってのが理由です
「神と人間は違う」という意見はあるとは思うし、それを否定しようとは思いません
確かにそうなのかもしれない
でも、そうじゃないかもしれない

聖書にある
「神は言われた。『我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。』」(創世記 1章26節) 
と、ありますが、この意味を調べると
「「人間は神に似せて造られた(神の形・似姿)」とは、外見が似ているのではなく、神の愛や意思を反映する霊的な存在として、特別な目的を持って創造されたことを意味します。」 
とのことです。

↑のプロセスを、この聖書の文章に照らして言うなら、人間(子)が神(親)に向き合おうとする愛の姿と言えるのではないかなと思うんです
【親を想う子の姿】
つまり
【愛】
↑のプロセスにはこれがあると思うんです

あなたが「本当に生きたい人生を生きたい」と望むならば、まずは↑のことをやってみてほしいなと思います
ただ、すぐに何かが変わるということではないので(変わる可能性もゼロとはいえませんが)そこはあまり期待せずに
長く続けていけば、神についてまったく考えられない日もあるとは思いますが、それはそれでいいと思います
出来ないからって、神は「今日、全然出来てないじゃん!(# ゚Д゚)ノ」なんて怒ったりすることなんてないでしょう…     怒ってたらどうしよう(-_-;)

で、やり方はコレ1つなのかと聞かれたら、もちろんそんなことはありません
あくまでやり方の1つです
あなたなりのやり方を見つけられたら、それをずっと続けてほしいと思います


と、自分なりの答えを出してみましたが、あなたはどうでしょう?
これも前回お伝えしたこと

①『このカテゴリーのねらいは、あなたが神を意識するということ』

②『あなたに一つだけお願いしたいのは、ただ記事を読んで終わりにするのではなく
「自分はどうなんだろうか?」と、あなたにとっての真実を考えていただきたいと思います。
ブログを【あなたについての真実】を考えるきっかけにしていただけたなら幸いです。
そして【神とあなた】という関係性について考えていただきたいと思います。』

上記2点にあるように、本当に大事なことは、「(【あなたが神を意識する】ところからスタートするのが大前提)としゆきという一人の人間の考えや経験をあなたが知る」ことではなく【(知った上で)あなた自身がどう考えどう感じたのか、あなたが出した答えはなんなのか?】ずばりココです!
簡潔に言うなら【あなたの反応】です

あなたは反応するのか、それとも無反応なのか
これはとしゆきにはコントロールできないこと
あなたにお任せします


そんなワケですので、とりあえず今回はこれで終わり
今回の内容について、まだまだ伝えることがありそうな気がするので、これらが言葉に出来そうになったら、改めてお伝えしようと思います


このブログが
あなたが神と向き合うきっかけとなりますように
そして、あなたがご両親に愛情を向けるように
あなたが神に愛情を向ける日々が過ごせますように

ありがとうございました( ◠‿◠ ) 


神と共に


20代前半は自分の悩みに囚われて、「死にたい」と思い続けた日々を過ごしたこともありましたが
信仰やスピリチュアルのことを学んできて、本当に楽に生きられるようになりました。

幸福感を感じられることが多くなりました。

痛み、悩み、苦しみ、… そういったものは全く無くなる訳ではありませんが
出来れば経験したくないような出来事を経験することが段々と減ってきていき
今では自己表現を自由に楽しみながら、心穏やかに日々を過ごせています。


2026/5/27現在、自分の年齢48歳
(7/2049)です。
年齢で言えば「人生の折り返し地点」と言えるところにいます。
自分のこれからの在り方を改めて考えてみた時に
自分と同じように本当に生きたい人生を生きることを
(意識的、無意識的関係なく)
望んでる方々に対してメッセージを伝えていこうと決心しました(念のため、誤解のないようお伝えしますが、自分が信仰をしているからと言って、入信を勧めるようなメッセージはお伝えしません)


しかし、ただ『自分が情報を伝え、相手が受け取る』形であれば
自分がやる必要は無いと思っています。
情報は溢れているので、今更自分がやる必要は無いと思うからです。

「としゆき」という一人の人間にしか出来ない形とはどんな形なのか?

そこを考え時に、「としゆき」の経験と思考をベースにしたものを
伝えることがベストだと思えました。

勿論「としゆき」という主観の言葉なので
「としゆき」にとっては真実であっても、あなたにとっては真実ではないかもしれません。

そこで、あなたに一つだけお願いしたいのは、ただ記事を読んで終わりにするのではなく
「自分はどうなんだろうか?」と、あなたにとっての真実を考えていただきたいと思います。
ブログを【あなたについての真実】を考えるきっかけにしていただけたなら幸いです。
そして【神とあなた】という関係性について考えていただきたいと思います。

自分もたた伝えるだけでなく、中国の古典に由来する「教うるは学ぶの半ばなり」や
西洋の「教えることは二度学ぶことである」のことわざにあるように
あなたに伝えていきながら自分自身が学び、整理していきたいと思います。

(「教える」という表現はおこがましく思えるので「伝える」という表現にします)


もしかしたら、自分が真実だと思っていたものが
真実でなかったという発見にたどり着くかもしれないので
そういう意味でも、この「ブログを通して自分の真実を伝える」という
プロセスは重要だと思っています。


カテゴリーの名前は、この記事のタイトルと同じ「神と己」にしました。
このカテゴリーに、少しずつ、長い時間をかけて記事を入れていきたいと思います。

このカテゴリーのねらいは、
あなたが神を意識するということ


最初は瞬間的なものでもいい、少しずつ神を意識しながら日々を過ごすこと
そして、一日の中で、神に意識を向けている時間を少しでも長くすること
ここを目標としています。

なぜか?

自分にとって何が正しくて何が間違っているのか等の結論を見出すことも大事ですが
最も大事なことは本当に生きたい人生を生きたいのなら、第一に神に意識を向けること
これが、自分の経験を通してたどり着いた答えの一つです。

あなたがあなた自身の真実を生きられるよう願わせていただきながら
自分の真実をお伝えさせていただこうと思います。
よろしくお願いいたします。

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